歴史・概要
江戸時代の万治年間(1658~1661)に、金沢の代官である八木次郎右衛門によって、東照宮が創建され、同じころ東照宮を管理する別当寺として円通寺も建てられたと推定されています。その後、江戸時代後期に東照宮を詣でる人をもてなすため、境内に円通寺客殿が建築されました。 慶応4(1868)年、神仏分離令により円通寺が廃寺となってからは、円通寺の最後の僧侶であった木村芳臣氏が還俗(げんぞく・一度出家した者がもとの俗人に戻ること)し、客殿を住居として使用しました。
その後も木村家に住み継がれ、平成9(1997)年に「旧円通寺客殿(木村家住宅主屋)」として横浜市認定歴史的建造物に認定され、平成28(2016)年に特定景観形成歴史的建造物に指定されました。
草創当時より、大きな間取り変更や増築はほとんど行われず、江戸時代の客殿としての造りが保存されている貴重な建物です。平成31(2019)年から復元工事が行われ、令和4(2022)年4月1日に金沢八景権現山公園の開園と同時に、一般公開されました。
円通寺の境内に残る遺構
明治元年(1868)、神仏分離令により円通寺は廃寺になりました。現在は、旧円通寺客殿が残るのみで、それ以外の建物は現存せず、詳しいことはよく分かっていません。横浜市が公園整備に伴い、平成29年度から令和元年度にかけて発掘調査を行った結果、かつての円通寺の境内を偲ばせる数々の遺構が見つかっています。
旧円通寺客殿の変遷について
万治年間(1658~1661) | 東照宮が八木次郎右衛門により勧請(かんじょう)される。 (この頃円通寺も天台宗浅草東光院の末寺、日輪山円通寺として中興開山したと考えられる) |
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寛政年間~文政年間頃 (1789~1831) |
円通寺が新田開発を行う。「円通寺新田」または「小泉新田」とも呼ばれた。幕末までにその広さは二町八反四畝十三歩(約28,000㎡)にのぼったとも言われる。 |
享和2年(1802) | 米倉氏より金15両が援助され、東照宮が再建される(『御宮御用記』より)。この頃、あるいは、天保14(1843)年に現在の客殿が建てられたと推測される。 |
天保10年(1839) | 『相中留恩記略』に円通寺境内が描かれる。 |
天保14年(1843) | 円通寺の僧、周如代により『御宮御用記』がまとめられ、東照宮の修復が行われたことが記載される。下遷宮、正遷宮の費用として、米倉氏より金5両の援助がなされ、6月11日に下遷宮、9月26日に正遷宮が執り行われた。この頃、あるいは享和2(1802)年に現在の客殿が建てられたと推定される。 |
明治3年(1870) | 神仏分離令に伴い、円通寺12世住職、木村芳臣が還俗(げんぞく)し東照宮神官となる。 |
平成9年(1997) | 旧円通寺客殿が横浜市認定歴史的建造物に認定される。 |
平成28年(2016) | 旧円通寺客殿が特定景観形成歴史的建造物に指定される。 |
令和4年(2022) | 旧円通寺客殿とその敷地(旧境内)が横浜市金沢八景権現山公園として開園する。 |
基本情報
施設概要 | 享和2(1802)年あるいは天保14(1843)年建築 ※令和3(2021)年復元 |
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特定景観形成歴史的建造物 | |
建築面積143.15㎡ ※床面積127.49㎡ | |
所在地 | 横浜市金沢区瀬戸20-3 金沢八景権現山公園内 |
開館時間 | 9:30~16:30 |
休館日 | 第4月曜日(休日の場合は、翌平日) 年末年始(12月29日~1月3日) |
入館料 | 無料 |
アクセス | 交通案内はこちら |
問合せ先 | 金沢八景権現山公園 管理事務所 TEL:045-370-7535 |
館内のご案内 | 館内のご案内はこちら |
その他の施設 | 金沢八景権現山公園 |
利用上のルールとお願い
- 土足での入館はできません。
- 濡れたものの持ち込みはできません。
- ペットの同伴はできません。
- 館内で飲食はできません。※熱中症予防のための飲料を除く
- 車いすをご利用の方はスタッフにお声がけください。※一部ご覧いただけない場所があります
館内のご案内
旧円通寺客殿とは
旧円通寺客殿は、東照宮を詣でる身分の高い参詣客を迎えるために使われたと考えられています。
室内は、客人用、従者用、そして家人が客人を接客するために使用した3つの場(機能)からなっています。
茅葺の外観からは古民家風にも見られますが、式台玄関や長押(なげし)や床の間、棚といった書院造りの意匠が施された客間があり、客殿としての間取りになっています。
茅葺屋根の外観
書院造りの奥座敷
旧円通寺客殿内部のみどころ
客人が使用する部屋
(げんかん・げんかんざしき・おくざしき・ひろま)
「玄関」「玄関座敷」「奥座敷」「広間」は東照宮を詣でる客人(正客)が使用する部屋として造られました。
玄関は正客が建物に入るための入口で、外部には式台と呼ばれる屋根のある低い板敷が付いています。客は駕籠(かご)から直接、建物へ入ることができました。
玄関座敷
玄関を入ってすぐの玄関座敷から左側に客人用の奥座敷、そして右側には従者用の窓座敷の入り口があります。床は畳敷きで正客を迎えるのにふさわしい設えになっています。
奥座敷
旧客殿で最も格が高い部屋で、床の間・違い棚・付書院を設えた書院です。隣の広間は次の間として使われます。東照宮に参詣する客はこの部屋で休憩をしました。
従者が使用する部屋
(まどざしき・ともまちべや・ちゅうげんべや)
「窓座敷」「供待ち部屋」「仲間部屋」は東照宮を詣でる客人(正客)のお供が使用する部屋でした。
従者の部屋は畳の縁が無地であるなど、客人の部屋との違いを見ることができます。
供待ち部屋(ともまちべや)
正客に伴って来た従者の控室です。書院造りの部屋飾りに用いられる帳台構えに見立てられる広間北側の襖の奥にある部屋で、武者隠しとして従者を控えさせていたと考えられています。
仲間部屋(ちゅうげんべや)
正客の従者の控室ですが、土間に続く部屋で床が張られていません。供待ち部屋より格が低く、調理を行う台所などに直結しているので、従者の中でもそのような役割の者が使用したと考えられます。少し砕けた数寄屋の意匠を取り入れたつくりになっています。
家人が使用する部屋
(だいどころ・どま・なんど・物置)
「台所」「土間」「納戸」「物置」は家人が東照宮を詣でる客人(正客)を接待するために必要な場所でした。
台所
かつては炊事の場所でした。床は北半分が土間で竈(かまど)がありました。土間の東隅には井戸が掘られ、周辺は洗い場として使われていました。南側半分には板張りの床が張られ、西寄りに囲炉裏がありました。
台所(天井部分)
玄関から一番奥には土間と台所があり、家人が客人を接待するために使用していました。台所から見える天井部分には、茅葺屋根の内側を見ることができます。
その他みどころ
三つ葉葵の釘隠し
旧円通寺客殿の長押(なげし)には、三つ葉葵の紋を模った釘隠しが取り付けられていました。三つ葉葵は徳川家の家紋であり、享保8(1723)年には利用の制限がかけられ将軍家とその一門以外は絶対に使用することができませんでした。
アクセス
旧円通寺客殿への交通のご案内はこちら