更新日:2022.03.24【思い出の金沢動物園17】長い付き合いになっています!
【思い出の金沢動物園17】長い付き合いになっています!
横浜生まれ、横浜育ちのわたしにとって、野毛山動物園は子どもの頃から遊びに行く場所でした。金沢動物園に初めて行ったのは、小学校高学年の頃、兄弟が入っていた少年野球の遠足(?)だったと思います。
みんなと一緒に遊んでいるのが楽しかったのか、動物のことはほとんど覚えていません。
オセアニア区のオオカンガルー展示場前の園路の写真だと思います。当時はモート(堀)があったのですが、壁が白くてすごくきれいです。黄色いテントの屋根も懐かしい(オセアニア区リニューアルするまでありました)。
中学生から高校生になる頃には、将来、動物に関わる仕事に就きたいと、真剣に思うようになりました。そんなとき、金沢動物園の飼育員さんと知り合いの友人がおり、紹介してもらい、進路の相談や動物園についてなどいろいろな話をしてもらいました。
↑↑高校生になるころに友人と訪れた金沢動物園。
当時の飼育員は男性が多かったのですが、女性の飼育員がゾウの担当をしており、「すごい!」と思ったのを覚えています。ゾウ前の看板も今はありませんが、ちょっと面白いですね。
進学し、飼育員になるための勉強をしていくうちに、大型草食獣をもっと知りたいと思い、金沢動物園で1ヶ月間の飼育実習を経験しました。
↑↑飼育実習中に撮影したキリン展示場です。写っているのはキリン「ヒナ」です。数年前まで金沢動物園で飼育していた「キリリン」も同じ場所でよく座っていたので、キリンにとってのベストポジションなのかもしれませんね。
横浜市の飼育員になれたときは本当にうれしかったのを覚えています。
最初は野毛山動物園に配属され、キリンの「キリリン」の人工哺育に携わり、キリリンが金沢動物園に引っ越した1ヶ月後に、私も金沢動物園に異動しました。傷病鳥獣やオセアニア区の動物を担当した後、キリン担当になり、キリリンの最期を看取りました。
↑↑展示場で座っている「キリリン」。
「ヒナ」の時より展示場のケヤキが太くなっています。
キリンは遠くから見ても存在を確認できるのに、座っていると見つけられず「一頭足りない!!」と心配になり確認に行くこともよくありました。
私が知っている数十年前の金沢動物園とは動物も施設も変わってきています。これからも動物たちにとっては、暮らしやすく、来園者してくださった皆様には、思い出に残る動物園になっていけたらと思います。