更新日:2019.03.26ありがとうイチゴ、またね
ありがとうイチゴ、またね
2019年3月7日、ガウルのイチゴ(メス)が死亡しました。
17歳でした。
私がイチゴの担当になったのはちょうど4年前の4月でした。
担当になったばかりのころはイチゴとの距離感がうまく掴めず、すれ違う日々だったように思います。
イチゴの苦手な大きな音の出る獣舎の工事が続いたことも重なって、最初の3ヵ月間は、夕方になってもなかなか展示場から寝室に帰ってきてくれませんでした。
16時半に動物園が閉園した後も、19時、20時まで獣舎でひたすらイチゴが帰ってくるのを待っていたあの日々、今となっては懐かしく思い出されます。
▲2015年8月ごろのイチゴ
イチゴは2001年、金沢動物園で生まれました。
金沢生まれ、金沢育ちのイチゴは比較的人に慣れていて、自分から興味を持って人に近づいてくることもありました。
イチゴの担当になったばかりの頃の私はまだ1年目の新米飼育員だったので、「担当動物と早く仲良くならねば」という焦りから、無理にイチゴとの距離を詰めすぎていたと今では反省しています。
イチゴが近くに来たいときに、近くに来てくれればいいんだ。
そう思えるようになってから、手渡しで餌をあげられるようになったり、たまに夕方寝室に帰ってこなくても、「イチゴの好きにしていいよ」という気持ちで待っていれば、よっぽどのことがない限り、夜遅くまで待ちぼうけるようなこともなくなりました。
飼育動物とは言っても、イチゴは野生動物の「ガウル」です。
動物とはお互いに適切な距離感を持って接することが大切なんだと、イチゴが教えてくれました。
歴代のガウルたちは、加齢とともに蹄が伸び過ぎてしまうことが長年の課題でした。
イチゴも例に漏れず、歳を重ねるにつれて左の前足の蹄が伸び過ぎてしまい、麻酔をかけて爪切りをすることも難しく、悩みの種でした。
なぜ蹄が伸び過ぎてしまうのか、いろいろな原因を考え、イチゴがより、やわらかい地面を長い時間歩き回れるように飼育方法を変更しました。
試行錯誤の結果、長かった蹄が自然に折れてきれいな形になるような飼育方法を編み出すことができました。
▲長かった蹄が
▲自然に折れて短くなりました
飼育動物のために、野生の生息地を鑑みて飼育環境を整えることが大切だということ、これもイチゴが教えてくれました。
今年の1月の終わりごろから、イチゴはほとんど何も食べれなくなってしまいました。
展示場で転んだり、倒れてしまうことを防ぐため、最後の1ヶ月間は寝室とサブパドックのみで過ごさせましたが、その間もイチゴはずっと自分の足で立って、しっかりと歩いていました。
▲亡くなる2日前のイチゴ
座って休む時間が長くなっても、私の前ではいつもグッと頭を上げて、目にはずっと力がありました。
イチゴからの「生きるぞ」という気持ちはずっと私に伝わってきていました。
生きている間は1分1秒でも無駄にせず自分らしく生きるんだ、イチゴが最後に教えてくれたことです。
▲座っていても私の前ではいつも頭を上げていました
ここではとても書ききれないくらい、イチゴに教えてもらったことはたくさんあります。
イチゴは私にとって、頼れる姉のようであり、たまにわがままを言う可愛い妹のような存在でもありました。
イチゴのいなくなってしまった獣舎は広くて、静かで、同じ獣舎で飼育しているベアードバクのアグアとふたりだけで過ごすのは少し心細いときもあります。
でも私たち飼育員には悲しみや寂しさに打ちひしがれて立ち止まっている時間はありません。
イチゴが教えてくれたたくさんのことを胸に、動物たちに全力で向き合い続けることが、イチゴへの恩返しになると思って、これからも邁進していきます。
最後になりますが、イチゴが死亡してから本当に多くの方からたくさんのお花やお手紙を頂戴しています。
本当にありがとうございます。
お花やお手紙は、イチゴが最後に過ごした寝室に飾らせていただいております。
イチゴがこんなにも多くの方から愛されていたこと、本当に嬉しく思います。
イチゴの展示場の前には、イチゴのこれまでの暮らしを振り返る写真を掲示しています。
みなさんとイチゴの思い出を振り返るきっかけになればいいなと思っていますので、ぜひイチゴの思い出に会いに金沢動物園にご来園ください。
そして、これからも金沢動物園の動物たちと、そこで働く人たちのこと、暖かい気持ちで応援していただけると大変うれしく思います。
イチゴ、いままで本当にありがとう。また会おうね。
(ガウル飼育担当 熊谷(くま))