更新日:2018.04.09ありがとう、お疲れ様
ありがとう、お疲れ様
去る4月3日、レッサーパンダのコウセイが永眠しました。
生前は長らく皆様に大変可愛がっていただきました。心より感謝申し上げます。
4月10日から4月23日まで、コウセイへのお別れの場として、献花台をアマゾンセンターに設けています。
コウセイは、2000年6月27日福井県の鯖江市西山動物園で生まれました。
シドニーオリンピック金メダリストの名を頂き、その名の通り非常に立派な体格を持った個体でした。
〈後ろからでも見間違えることのない長い尻尾(2011年)〉
ズーラシアに来園したのは2004年の1月。以来、持ち前の人懐っこく物怖じしない性格で、ズーラシアのレッサーパンダの中でも中心的な展示個体として活躍してくれました。
〈来園1年目のコウセイ(2004年)〉
残念ながら繁殖には至りませんでしたが、ズーラシアにはなくてはならない存在でした。
〈樹上のコウセイ(2005年)〉
かつて、2か月間ほどアマゾンセンターでの展示を行った時も、物怖じをしないコウセイが選ばれました。また、レッサーパンダ展示場を工事して2頭別々に展示できるようにした際の、展示練習も展示再開も、トップバッターはコウセイでした。
今回、過去の広報写真なども引っぱり出しましたが、「レッサーパンダ」枠の写真の半分近くがコウセイ。本当に、ズーラシアのエースのような存在でした。
私が担当になったのは2016年4月。
若いころの元気者っぷりは聞き及んでいましたが、このころにはゆったりとした老齢個体となっていました。
〈お気に入りの丸太の上で〉
しかし、そんな右も左もわからない担当者にも物怖じしない性格は相変わらずで、困ったときのコウセイ頼み、とばかり、様々な場面で助けてもらいました。担当が変わって、一番初めに展示したのもコウセイでした。
〈食欲は衰えず〉
何度来てもいつもコウセイだ、ズーラシアには実はコウセイしかいないんじゃないか、なんて来園者の方から冗談を(冗談ですよね?)言われたことも。
動きは年相応にゆっくりになりましたが、毛並みや顔立ちは若々しいままで、本当に立派な個体でした。
〈上体を起こすと前肢を横に広げる癖がありました〉
大きな体格のおかげか食欲もあまり衰えず、大好きなリンゴをゆっくりと食べてくれるおかげで、ガイドの時などじっくりと話をする上でもありがたい存在でした。
〈ガイドにて〉
そして、時折見せた(老いてからしか知らない私にとって)意外な運動能力。
〈老いてなお細い枝を登る〉
しかし、糞のにおいや、普段の足取りなど、だんだんと年齢を感じさせる場面も増えてきました。
〈寝台にて〉
そして、この3月半ば。足取りが目に見えてゆっくりとなり、人に対する反応もかなり鈍っているのがわかりました。食欲もなくなったため検査をしたところ、強い貧血であることがわかりました。治療を行ってきましたが、日を追うごとに、足元がおぼつかなくなって、動くことも少なくなりました。けれども、他の餌はほとんど食べなくなっても、リンゴだけはコウセイらしくしっかりと要求をして、しっかりと食べていました。かなり無理をしていたのでしょうが、野生動物らしく弱みを見せないようにしたのかもしれません。
〈2018年3月、まだ普段と変わりませんでした〉
死亡する3日前には、体を支持するのもおぼつかないはずのコウセイが、フェンスにつかまりながらでしたが後肢で立ち上がってリンゴを要求。その顔は、真ん丸な瞳ときりっとした眉間の、見慣れたコウセイの表情でした。
〈ガイドや竹交換に行くとリンゴを待ち構えていました〉
飼育動物が死を迎えるたびに、もっとできることはなかったか、もっと早く気付けなかったか、と後悔することばかりです。飼育下での寿命が15年、と言われる中で、コウセイは17歳まで生きてくれました。それでも、大往生だ、と納得することはできません。
日々変わる動物の状況に気づくこと、気づくよう努力すること、そしてその変化にいつでもすぐに対処すること。動物園に入って教わり続けていることを、もう一度しっかり意識するようコウセイが最後に教えてくれたのかもしれません。
今後、動物飼育をしていく中で、コウセイが残したものを活かして、他の動物に当たらなければなりません。
〈2017年ホワイトデーを前に〉
コウセイ、長い間お疲れ様でした。ほんまにありがとう。
飼育展示係 太田 真琴