更新日:2022.04.18野毛山レッサーパンダヒストリー④~平成から令和編~
野毛山レッサーパンダヒストリー④~平成から令和編~
みなさんこんにちは。
この記事の下書きを書いていたところで賢健が急死してしまった都合により、前回から間が開いてしまいましたが、ご容赦頂ければ幸いです。
その節は、賢健や職員に対する数々の温かいお言葉、本当にありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。
さて、それでは、野毛山レッサーパンダヒストリーいよいよ最終回です。
(※これまでの記事はコチラから→①昭和編、②平成・前編、③平成・後編)
2017年(平成29年)広島市安佐動物公園からメスのキクが来園しました。
実は、キクは最近少なくなってきてしまった横浜の血を引く個体なのです。
キクのお父さんはトロリと言い、トロリはズーラシアで暮らすララの双子の兄(トロ)の子なのですが...そう言うと結局よくわからないので、横浜レッサーパンダファンの皆さんのために簡単に言うと、"キクはララの双子の兄の孫"なのです。
そして性格は憶病。
これは来園翌日の様子です。全身で「無理...」と言っています。
それでもキクなりにゆっくり野毛山ライフに慣れていき、いろんな姿を見せてくれるようになりました。
キクが立つとなんだかクスッとなってしまうのは私だけでしょうか...?
たくさんかわいい写真を撮ってもらっていたようですね。
こちらは2018年(平成30年)、12歳のころの賢健。まだ若い!
そしてついに時代は令和へ!
(令和の賢健☆)
2020年(令和2年)11月。(公社)日本動物園水族館協会のレッサーパンダ管理計画にもとづき、野毛山のキクとズーラシアのイチゴをトレードすることになりました。イチゴはズーラシアでも人気者だったので、この発表は多くの方に衝撃を与えたようでした。
私は当時ズーラシアで飼育担当だったイチゴとお別れし、キクを迎え入れたのです。
(出園前日のキク)
キクの第一印象は「濃っ!頭デカ!」でした。(キク、ごめん。笑)
怖がりだと聞いていた割には、その日のうちにリンゴを手から受け取ってくれたり、餌はしっかり完食したり。なんだ大丈夫じゃないか、と思ったのも昨日のようです。
その後もキクはズーラシアで元気にくらしています。
一方、こちらは野毛山に来園したばかりのころのイチゴ。
こんな写真も見つけました。どうやらリンゴを落としてしまって二人で一緒に探しているみたいですね。
前回のブログでも紹介しましたが、賢健とイチゴは父娘です。
2頭とも元々は周南市徳山動物園で暮らしており、全く異なるタイミングで横浜にやってきました。全国津々浦々レッサーパンダのいる動物園はあるのに、行きついた先は偶然同じ場所だったんですね。
そして、2021年(令和3年)3月、私もズーラシアを出園し、4月野毛山動物園に入園しました。新たなご縁、再びのご縁の始まりでした。
残念ながら賢健とは1年弱のお付き合いでお別れとなってしまいました。施設も古く、なかなか快適に過ごしてもらうことの難しい事もありましたが、最後の最後までレッサーパンダらしく頑張って生きてくれました。野毛山の顔は娘に譲って、これからはイチゴに(無理なく)頑張ってもらいましょう。今まで、ありがとう賢健!
さて、4回にわたり紹介してきた野毛山レッサーパンダヒストリー、いかがでしたか?
1973年から2022年までの49年を振り返りました。
毎回長々と書いてしまいましたが、読んで下さったみなさま、ありがとうございました。感想をくださった方々も、本当にありがとうございます。
ブログにまとめる中で特に感じたのは、これまでたくさんのレッサーパンダたちがたくさんのお客様をお迎えし、たくさんの笑顔をもたらしてきてくれた事実の尊さです。
今もレッサーパンダ展示場前はたくさんのお客様で賑わっています。この光景は、きっと続いて行きます。ぜひみなさんもその中の一人でいてくださいね!もちろん来園できなくても応援してくださるお客様も一緒です!
最後に、こちらは2022年の公式お年賀SNSでも使ってもらったイチゴの写真です。新展示場紹介のためにつり橋を撮っていたら映り込んできて偶然撮れたのです。
まるで、「これからもよろしくね!」と言ってくれているみたいですね!
4月に入り、野毛山動物園は71周年目に入りました。
引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
飼育展示係 永井